祖母は現在82歳ですが、とても綺麗な人です。スラリとした長身で、髪も黒々と染め上げ、顔には皺ひとつありません。誰が見てもまだ60代に見えます。旧華族出身の家柄で、立ち居振舞いが上品で優雅です。私は、少年時代近所のお年寄りから嫌と言うほど祖母の話を聞かされました。「あんたのお祖母さんは、若いころはそりゃあ綺麗なひとじゃった。女優さんでもあんなに綺麗な人は居らんかったよ」知っています。なぜなら、祖母の屋敷には膨大な量の祖母の若いころの写真があったからです。祖母は大きな屋敷に一人で住んでいました。祖父は戦死して居ません。私は物心ついたときから祖母の屋敷へ行けば、祖母の写真を整理するのが好きでした。祖母の娘時代の写真を見た途端、その写真の中のお姉さんに恋してしまったからです。私は祖母に写真をくれる様ねだり、額に入れて毎日眺めていました。祖母もそんな私を数いる孫の中でも特にかわいがってくれていました。祖母の若いころの写真は膨大な数で、祖母本人が未整理のままただ保存されていました。それを私は一つ一つ整理していったのです。そしてある日、私は遂にそれを見つけてしまったのです。それは茶封筒の中に無造作に入れられた5枚の写真でした。若かりし祖母のヌード写真です。立っているもの、座っているもの、上半身だけのもの、横たわり上半身を起こしているもの、バックショットで顔だけ振り向いているもの、の5点でした。今からみれば、とてもソフトな物なのですが、いずれも一糸纏わぬ物ばかりです。くわえて、小学生の私には、憧れの女性のヌードは刺激が強すぎました。身体がガクガク震えて、どうしようもありませんでした。このまま失敬してしまおうかと思っていたその矢先に、祖母がお茶とお菓子を持って入って来たので、私は仕方なくそれを祖母に差し出しました。「あら、まあ!」写真を見たときの祖母の顔を私は一生忘れません。顔が桜色に染まり、写真の中の少女と同じ顔になったからです。祖母は、この写真は近所の絵描きさんのモデルになったときに撮って貰った物だと言いました。私はその写真がどうしても欲しかったのですが、祖母は「恥ずかしいから」と言って、くれませんでした。それから毎日頼んだら、私が大人になったら上げると言われました。その写真のことを考えていると、自然とペニスが硬くなってきて、それをいじっているうち何とも言えない恍惚感に包まれ、噴出した精液を床一面に撒き散らしてしまいました。それが私の初めての精通でした。月日は流れ、私は高校を卒業し大学に合格しました。祖母に報告に行くと大変喜んでくれ、お祝いに何が欲しいかと聞かれたので、私は思い切って「あの写真を下さい」と言いました。祖母はビックリしていましたが、私に本当のことを話してくれました。あの写真を撮ったのは、女学生のころ祖母が憧れていた大学生の男性で、祖母の初めての人だったと。出征前に、身体を許し、初体験を終えた直後に撮ったもので、その人はそれを持って戦地に赴いたそうです。そして戦死の報とともに形見として祖母に送られて来たそうです。その写真は結局いま私の手許にあります。誰にも見せることはありませんが、私の大事な宝物です。 祖母とはその後結ばれました。私が19歳、祖母が70歳のときです。初体験ではありませんでしたが、祖母は少女のような恥じらいを見せ、私はそれを愛しく思いました。美しい祖母でしたが、身体はさすがに弛んでいて、陰毛もまばらでした。始めは結構激しくしていたのですが、祖母が具合を悪くしてしまい、その後は正上位だけのソフトなものになりました。家庭を持った今でも年に数回ですが、祖母と交わることがあります。ラブローションを塗り込んで挿入するのですが、ゆっくりとピストンしていると祖母は目を瞑り、「あぁ」と微かな吐息を漏らします。締まりは当然ありませんが、それでも私が溜まっているときは射精まですることが出来ます。私が膣内に射精すると、祖母は何とも言えず満足そうな表情をします。気品溢れる祖母ですから、セックスにおいても乱れたところを見せることはありません。フェラチオもよほど気のむいたときにしかしてくれません。私もそんな祖母が大好きなのですから、下らない要求はしません。これからいつまでこの関係が続くかはわかりませんが、私はずっと祖母を愛して行きます。
祖母は現在82歳ですが、とても綺麗な人です。
スラリとした長身で、髪も黒々と染め上げ、顔には皺ひとつありません。
誰が見てもまだ60代に見えます。
旧華族出身の家柄で、立ち居振舞いが上品で優雅です。
私は、少年時代近所のお年寄りから嫌と言うほど祖母の話を聞かされました。
「あんたのお祖母さんは、若いころはそりゃあ綺麗なひとじゃった。
女優さんでもあんなに綺麗な人は居らんかったよ」知っています。
なぜなら、祖母の屋敷には膨大な量の祖母の若いころの写真があったからです。
祖母は大きな屋敷に一人で住んでいました。
祖父は戦死して居ません。
私は物心ついたときから祖母の屋敷へ行けば、祖母の写真を整理するのが好きでした。
祖母の娘時代の写真を見た途端、その写真の中のお姉さんに恋してしまったからです。
私は祖母に写真をくれる様ねだり、額に入れて毎日眺めていました。
祖母もそんな私を数いる孫の中でも特にかわいがってくれていました。
祖母の若いころの写真は膨大な数で、祖母本人が未整理のままただ保存されていました。
それを私は一つ一つ整理していったのです。
そしてある日、私は遂にそれを見つけてしまったのです。
それは茶封筒の中に無造作に入れられた5枚の写真でした。
若かりし祖母のヌード写真です。
立っているもの、座っているもの、上半身だけのもの、横たわり上半身を起こしているもの、バックショットで顔だけ振り向いているもの、の5点でした。
今からみれば、とてもソフトな物なのですが、いずれも一糸纏わぬ物ばかりです。
くわえて、小学生の私には、憧れの女性のヌードは刺激が強すぎました。
身体がガクガク震えて、どうしようもありませんでした。
このまま失敬してしまおうかと思っていたその矢先に、祖母がお茶とお菓子を持って入って来たので、私は仕方なくそれを祖母に差し出しました。
「あら、まあ!」写真を見たときの祖母の顔を私は一生忘れません。
顔が桜色に染まり、写真の中の少女と同じ顔になったからです。
祖母は、この写真は近所の絵描きさんのモデルになったときに撮って貰った物だと言いました。
私はその写真がどうしても欲しかったのですが、祖母は「恥ずかしいから」と言って、くれませんでした。
それから毎日頼んだら、私が大人になったら上げると言われました。
その写真のことを考えていると、自然とペニスが硬くなってきて、それをいじっているうち何とも言えない恍惚感に包まれ、噴出した精液を床一面に撒き散らしてしまいました。
それが私の初めての精通でした。
月日は流れ、私は高校を卒業し大学に合格しました。
祖母に報告に行くと大変喜んでくれ、お祝いに何が欲しいかと聞かれたので、私は思い切って「あの写真を下さい」と言いました。
祖母はビックリしていましたが、私に本当のことを話してくれました。
あの写真を撮ったのは、女学生のころ祖母が憧れていた大学生の男性で、祖母の初めての人だったと。
出征前に、身体を許し、初体験を終えた直後に撮ったもので、その人はそれを持って戦地に赴いたそうです。
そして戦死の報とともに形見として祖母に送られて来たそうです。
その写真は結局いま私の手許にあります。
誰にも見せることはありませんが、私の大事な宝物です。
祖母とはその後結ばれました。
私が19歳、祖母が70歳のときです。
初体験ではありませんでしたが、祖母は少女のような恥じらいを見せ、私はそれを愛しく思いました。
美しい祖母でしたが、身体はさすがに弛んでいて、陰毛もまばらでした。
始めは結構激しくしていたのですが、祖母が具合を悪くしてしまい、その後は正上位だけのソフトなものになりました。
家庭を持った今でも年に数回ですが、祖母と交わることがあります。
ラブローションを塗り込んで挿入するのですが、ゆっくりとピストンしていると祖母は目を瞑り、「あぁ」と微かな吐息を漏らします。
締まりは当然ありませんが、それでも私が溜まっているときは射精まですることが出来ます。
私が膣内に射精すると、祖母は何とも言えず満足そうな表情をします。
気品溢れる祖母ですから、セックスにおいても乱れたところを見せることはありません。
フェラチオもよほど気のむいたときにしかしてくれません。
私もそんな祖母が大好きなのですから、下らない要求はしません。
これからいつまでこの関係が続くかはわかりませんが、私はずっと祖母を愛して行きます。