私は39歳の母親です。8年前に旦那と離婚して息子と二人きりで暮らす様になりました。当時、私は31歳で、息子は11歳でした。旦那からの慰謝料で、生活には不自由していませんでしたが、私の性的欲求不満はたまる一方でした。私は毎日の様にオナニーをして自分自身を慰めていました。ある日、私はレディースコミックを読んでいました。自然と私の手がショーツの中に入り、濡れた蕾を触りながらHな妄想をしていました。そして、近親相姦告白を読んでいるうちに、私の心の中に危険な想いが芽生え始めました。そうです。 私は自分の息子とHをしている場面を思い浮かべていたのです。私はタンスの中に隠して置いたピンクローターを取り出し、大きくなっていた蕾をさらに刺激しました。「カズ君、カズ君。」「アァ〜、いく、いっちゃう〜」と叫びながら、快楽を得ていた時、「ただいま。」と言って、息子が学校から帰って来ました。そして、ソファーの上でオナニーをしている私を見つめました。私はビックリして慌ててショーツをはき直し、何事も無かったかの様に、「お帰り。」と息子に言いました。翌日、いつもと変わらない息子の態度に私は安心しました。純粋な息子には、あの時私が何をしていたのか分からなかったのでしょう。しかし、あの時私の心の中に芽生え始めていた危険な想いは、息子の姿を見る度にだんだんと膨らんでいきました。そして、私は決断しました。ある日、息子と一緒にお風呂に入りました。以前から、息子とはいつも一緒にお風呂に入っていましたが、その時の私はとても緊張していました。「カズ君、ママがオチンチンをきれいに洗ってあげる。」と言って、私はまだ毛も生えていない幼いオチンチンの皮を思いきって剥いであげました。「いたいよ〜」と息子は呟きました。息子の小さくてピンク色をしたペニスが生まれて初めて顔を出しました。そして、私は石鹸を付けながら、息子のオチンチンをしごき始めました。息子のオチンチンはだんだんと硬くなり、大きくなりました。私は息子の勃起したオチンチンを見て、「ママがもっといい事してあげる。」と言って、口の中に含みました。しばらくして、「ママ、もうやめて〜」と息子が言った瞬間に、私の口の中に薄くて甘ずっぱい精液が発射されました。その時、息子は初めて射精と言うものを体験しました。「カズ君、気持ち良かった?」と私が聞くと、「・・・・・」息子は下を向いたまま、何も返事が返って来ませんでした。それ以来、私と息子は毎日Hな遊びをして、いろんな事を息子に教えてあげました。 時々、アダルトビデオを一緒に見たりもしました。一ヶ月後、私はSEXに興味を持ち始めた息子に、「カズ君、SEXしてみたい?」と聞きました。「うん。」と息子は答えました。私は息子の勃起したオチンチンを自分の秘部へと導きました。「ここにオチンチンを入れるのよ。」と私は言い、「ママ、どうすればいいの?」と息子は聞いてきました。「ゆっくり出したり、入れたりしてみて。」と私は答えました。息子のオチンチンは私にはまだ小さすぎて肉体的満足を得る事は出来ませんでしたが、愛しい息子と一つになれた事に歓びを感じました。ついに、「禁断の扉」が開かれたのです。私にはもう後戻りする事は出来ませんでした。息子の方もまだ「近親相姦」と言う意味も言葉も知らなかったので、容易に私を受け入れてくれました。そして、私と息子は毎日SEXを楽しむ様になりました。息子が中学生になりました。その頃には、息子の方から私を求めて来る様になってました。学校から帰ると、私のスカートをめくったり、後ろから抱きついたりして、「ママ、SEXしよう。」と言ってました。私はそうした息子の行動に女としての歓びを感じていました。そして、私は思春期を迎えた息子が他の女性に気が行かない様に、わざとカワイイ下着をつけたり、ミニスカートを履いたりして、息子を誘惑し続けました。「ママ、可愛いよ。」と息子が言ってくれる度に、私は少女の様に胸がときめきました。 私と息子はまるで恋人同志の様に、はしゃぎ合いながら一緒にお風呂に入ったり、ベットに入ったりして、幸せの日々を過ごしていました。ある日、私は息子とのSEXが終わった後、何気なく、「カズ君、今、好きな子いる?」と息子に聞くと、「いない。 ママが一番好きだよ。」と言ってくれました。私は息子にキスをして、「もう一回する?」と息子に聞くと、「うん、ママとなら何回やっても平気だよ。」と言ってくれました。私はとても幸せでした。あの時、私が息子を「禁断の愛」へと導いてあげたおかげで、今の夢のような暮らしがあるのだから・・・。私の心の中には「近親相姦」に対する抵抗は全く無くなっていました。私は一人の男性として息子を愛していたのです。そして、「禁断の愛」は絶え間なく続いていきました。息子が高校生になりました。しばらくして、私は衝撃的な事実を知らされました。生理が来ないのです。私は不安になり産婦人科に行きました。そして、妊娠している事を告げられるのでした。「おめでとうございます。 奥さん、妊娠しています。」と医院長に言われた瞬間、私は呆然としました。息子の子供には間違いありません。私は息子にどう話したら良いのか分からず、しばらく一人で悩んでいました。そしてある日、ベットで一緒に寝ている息子に、「カズ君、もし、赤ちゃんが出来ちゃったらどうしようか?」と聞いてみると、「産むか、産まないかは、ママが決める事だから・・・」と答えました。「そう。」と私は小さな声で呟きました。それから三日後、私は思いきって息子に妊娠の事実を告白しました。「カズ君、あの〜、相談があるんだけど・・・」「ママ、カズ君の子供を妊娠したみたいで、産んで育てようと思ってるんだけど、いい?」と聞いてみました。「えっ!本当に妊娠しているの?」「うぅ〜ん、ママがそう決めたのならいいよ。 僕も子供の面倒をみるから。」と息子は言いました。私は息子の子供を産む決心をしました。たとえ、これから先、どのような試練が待ち受けていようと・・・。だんだんと私のお腹は大きくなり、私は新婚の頃に戻った気分でした。「ママ、いつ生まれるの?」と息子が聞いてきたので、「あと一ヶ月ぐらい。」「もし、おっぱいが出たら、カズ君にも飲ましてあげるから。」と私が言うと、「えっ!本当に。」と息子は笑みを浮べながら言いました。そして、私は元気な女の子を出産しました。私にとても似ていて、名前を「愛」と名付けました。当時、私が36歳で、息子が16歳でした。息子は自分が父親である事を忘れて、まるで妹が出来たかの様に可愛がっていました。息子にとって「愛」は娘であり、そして妹なのです。私と息子は「愛」をこれから妹として、ずっと育てる事にしました。そして、私達は近所の人に怪しまれない様に、少し離れた場所に引っ越す事にしました。そこで、私と息子は人目を気にする事なく夫婦の様に暮らし始めました。それは、結婚と言う形ではなく、永遠の愛と言う形で・・・。今でも、私と息子は本当の夫婦の様に暮らしています。息子も立派な社会人になり、「愛」も元気です。 ♀私 ・・・39歳 ♂息子 ・・・19歳 ♀愛 ・・・2歳と5ヶ月私は「近親相姦」を否定しません。たとえ、息子と愛が同じ道を辿ったとしても・・・
私は39歳の母親です。
8年前に旦那と離婚して息子と二人きりで暮らす様になりました。
当時、私は31歳で、息子は11歳でした。
旦那からの慰謝料で、生活には不自由していませんでしたが、私の性的欲求不満はたまる一方でした。
私は毎日の様にオナニーをして自分自身を慰めていました。
ある日、私はレディースコミックを読んでいました。
自然と私の手がショーツの中に入り、濡れた蕾を触りながらHな妄想をしていました。
そして、近親相姦告白を読んでいるうちに、私の心の中に危険な想いが芽生え始めました。
そうです。
私は自分の息子とHをしている場面を思い浮かべていたのです。
私はタンスの中に隠して置いたピンクローターを取り出し、大きくなっていた蕾をさらに刺激しました。
「カズ君、カズ君。
」「アァ〜、いく、いっちゃう〜」と叫びながら、快楽を得ていた時、「ただいま。
」と言って、息子が学校から帰って来ました。
そして、ソファーの上でオナニーをしている私を見つめました。
私はビックリして慌ててショーツをはき直し、何事も無かったかの様に、「お帰り。
」と息子に言いました。
翌日、いつもと変わらない息子の態度に私は安心しました。
純粋な息子には、あの時私が何をしていたのか分からなかったのでしょう。
しかし、あの時私の心の中に芽生え始めていた危険な想いは、息子の姿を見る度にだんだんと膨らんでいきました。
そして、私は決断しました。
ある日、息子と一緒にお風呂に入りました。
以前から、息子とはいつも一緒にお風呂に入っていましたが、その時の私はとても緊張していました。
「カズ君、ママがオチンチンをきれいに洗ってあげる。
」と言って、私はまだ毛も生えていない幼いオチンチンの皮を思いきって剥いであげました。
「いたいよ〜」と息子は呟きました。
息子の小さくてピンク色をしたペニスが生まれて初めて顔を出しました。
そして、私は石鹸を付けながら、息子のオチンチンをしごき始めました。
息子のオチンチンはだんだんと硬くなり、大きくなりました。
私は息子の勃起したオチンチンを見て、「ママがもっといい事してあげる。
」と言って、口の中に含みました。
しばらくして、「ママ、もうやめて〜」と息子が言った瞬間に、私の口の中に薄くて甘ずっぱい精液が発射されました。
その時、息子は初めて射精と言うものを体験しました。
「カズ君、気持ち良かった?」と私が聞くと、「・・・・・」息子は下を向いたまま、何も返事が返って来ませんでした。
それ以来、私と息子は毎日Hな遊びをして、いろんな事を息子に教えてあげました。
時々、アダルトビデオを一緒に見たりもしました。
一ヶ月後、私はSEXに興味を持ち始めた息子に、「カズ君、SEXしてみたい?」と聞きました。
「うん。
」と息子は答えました。
私は息子の勃起したオチンチンを自分の秘部へと導きました。
「ここにオチンチンを入れるのよ。
」と私は言い、「ママ、どうすればいいの?」と息子は聞いてきました。
「ゆっくり出したり、入れたりしてみて。
」と私は答えました。
息子のオチンチンは私にはまだ小さすぎて肉体的満足を得る事は出来ませんでしたが、愛しい息子と一つになれた事に歓びを感じました。
ついに、「禁断の扉」が開かれたのです。
私にはもう後戻りする事は出来ませんでした。
息子の方もまだ「近親相姦」と言う意味も言葉も知らなかったので、容易に私を受け入れてくれました。
そして、私と息子は毎日SEXを楽しむ様になりました。
息子が中学生になりました。
その頃には、息子の方から私を求めて来る様になってました。
学校から帰ると、私のスカートをめくったり、後ろから抱きついたりして、「ママ、SEXしよう。
」と言ってました。
私はそうした息子の行動に女としての歓びを感じていました。
そして、私は思春期を迎えた息子が他の女性に気が行かない様に、わざとカワイイ下着をつけたり、ミニスカートを履いたりして、息子を誘惑し続けました。
「ママ、可愛いよ。
」と息子が言ってくれる度に、私は少女の様に胸がときめきました。
私と息子はまるで恋人同志の様に、はしゃぎ合いながら一緒にお風呂に入ったり、ベットに入ったりして、幸せの日々を過ごしていました。
ある日、私は息子とのSEXが終わった後、何気なく、「カズ君、今、好きな子いる?」と息子に聞くと、「いない。
ママが一番好きだよ。
」と言ってくれました。
私は息子にキスをして、「もう一回する?」と息子に聞くと、「うん、ママとなら何回やっても平気だよ。
」と言ってくれました。
私はとても幸せでした。
あの時、私が息子を「禁断の愛」へと導いてあげたおかげで、今の夢のような暮らしがあるのだから・・・。
私の心の中には「近親相姦」に対する抵抗は全く無くなっていました。
私は一人の男性として息子を愛していたのです。
そして、「禁断の愛」は絶え間なく続いていきました。
息子が高校生になりました。
しばらくして、私は衝撃的な事実を知らされました。
生理が来ないのです。
私は不安になり産婦人科に行きました。
そして、妊娠している事を告げられるのでした。
「おめでとうございます。
奥さん、妊娠しています。
」と医院長に言われた瞬間、私は呆然としました。
息子の子供には間違いありません。
私は息子にどう話したら良いのか分からず、しばらく一人で悩んでいました。
そしてある日、ベットで一緒に寝ている息子に、「カズ君、もし、赤ちゃんが出来ちゃったらどうしようか?」と聞いてみると、「産むか、産まないかは、ママが決める事だから・・・」と答えました。
「そう。
」と私は小さな声で呟きました。
それから三日後、私は思いきって息子に妊娠の事実を告白しました。
「カズ君、あの〜、相談があるんだけど・・・」「ママ、カズ君の子供を妊娠したみたいで、産んで育てようと思ってるんだけど、いい?」と聞いてみました。
「えっ!本当に妊娠しているの?」「うぅ〜ん、ママがそう決めたのならいいよ。
僕も子供の面倒をみるから。
」と息子は言いました。
私は息子の子供を産む決心をしました。
たとえ、これから先、どのような試練が待ち受けていようと・・・。
だんだんと私のお腹は大きくなり、私は新婚の頃に戻った気分でした。
「ママ、いつ生まれるの?」と息子が聞いてきたので、「あと一ヶ月ぐらい。
」「もし、おっぱいが出たら、カズ君にも飲ましてあげるから。
」と私が言うと、「えっ!本当に。
」と息子は笑みを浮べながら言いました。
そして、私は元気な女の子を出産しました。
私にとても似ていて、名前を「愛」と名付けました。
当時、私が36歳で、息子が16歳でした。
息子は自分が父親である事を忘れて、まるで妹が出来たかの様に可愛がっていました。
息子にとって「愛」は娘であり、そして妹なのです。
私と息子は「愛」をこれから妹として、ずっと育てる事にしました。
そして、私達は近所の人に怪しまれない様に、少し離れた場所に引っ越す事にしました。
そこで、私と息子は人目を気にする事なく夫婦の様に暮らし始めました。
それは、結婚と言う形ではなく、永遠の愛と言う形で・・・。
今でも、私と息子は本当の夫婦の様に暮らしています。
息子も立派な社会人になり、「愛」も元気です。
♀私 ・・・39歳 ♂息子 ・・・19歳 ♀愛 ・・・2歳と5ヶ月私は「近親相姦」を否定しません。
たとえ、息子と愛が同じ道を辿ったとしても・・・