あれは、私が15歳、中学3年のときでした。そのころ、塾に通っていましたが、家からは遠い為塾が終わると母の実家で夕食を食べ、母が迎えに来るのを待ってました。夕食を作ってくれるのは、母の妹、つまり叔母でした。叔母は当時40歳で専業主婦でした。オナニーを覚えたての私は、いつも脱衣所の叔母のパンティーを探すのがとても楽しみで、塾に行くと言うよりも叔母の下着を見に行っているようなものでした。ある時、母からの電話で「今日は遅くなるから、お風呂も入れてもらいなさい。」と、連絡が入りました。いつものように夕飯をご馳走になった後、叔母に「お風呂の準備が出来たから入りなさい」と言われ、叔母のパンティーを存分に楽しんだ後、お風呂に入りました。さすがに風呂場でオナニーをするのは気が引けて我慢してお風呂をでました。そこに立っていたのは叔母でした。「○○君の背中を流してあげようと思って・・・。」叔母は私の体を恥ずかしそうに、しかし観察するように眺めています。私はオナニーを我慢して出てきたので勃起状態のままです。恥ずかしくて風呂場に戻ろうとすると叔母が「小さいころはよく拭いてあげたのよ」とタオルで私の体を包み込むように拭いてくれました。そして、叔母の手は私の勃起へと向かいます。私は緊張で身動きが取れず、なすがままになっていました。叔母はその勃起を右手でやさしくなぞりながら「ふぅ」と吐息に似た声を・・・。2,3度上下させたあと、唇を近づけ、下のほうから舐め上げたかと思うと口の中に頬張りました。初めて経験する温もりに私の感情は最高潮になり、暴発を起こしました。「○○君のをこうしたかったの」舌なめずりをして叔母がいいました。「私のパンティーでいやらしいことしてたでしょう?」叔母は、私がそれを見ながらオナニーをしていたことを知っていたようです。それも当然といえば当然でしょう。私の精液が少なくとも着いていたでしょうから。叔母は私の手を引きリビングへ向かいます。「女のここって、見た事ある?」といいながら、すでにスカートは叔母の腰の辺りでしわをつくり、パンティーは膝の上10センチのところまで降りています。またもや緊張状態の私に、まるでストリッパーのようにじらしながら足を割りその茂みを自ら押し開いていきます。私は甘い蜜に誘われる春の虫のように自然に顔が近づいていきました。「触って」叔母はすでに興奮状態の自分の蜜壷に私の右手を誘導しました。はじめて触れる女性器。ヌルッとした手触りの中にポツリとある突起に指を伸ばすと「あぅっ」叔母は待ちかまえていたように反応します。しばらくの間、その行為を繰り返していると叔母はだるそうに起きあがり私を仰向けに寝かせて唇を爆発寸前の勃起に近づけます。その行為は先ほど経験していますが、やはり若かりし私には刺激が強すぎます。もたしても叔母の口の中で爆発してしましました。しかし、叔母の行動は終わりではありませんでした。私の上に跨り、まだ興奮状態にある私のものを女性の核心へと導きました。「とうとうつながっちゃったね」眉と眉のあいだに少ししわをよせて叔母が言います。叔母は自分の腰を円を書くように私の上で、まるで何かにとり付かれたようにだんだんとリズムを早め、叔母の中の欲望を満たすために突き進みます。時には自分で自らの突起に触れながら、そして時には私の精液のタンクを揉みながら・・・。10分ぐらいの時間でしたでしょうか、そのころには私も余裕が出てきて叔母と上下を入れ替え、爆発へのタイマーをいれました。ついにその時が来ました。「中に・・お願い・・・」とぎれとぎれの声で叔母の最後の教えでした。「すごくよかったよ。」叔母は童貞を無くした私にやさしく言ってくれました。「これからも、もっといろんな事を教えてあげる」そう言いながらまだ、勃起している私のものを口できれいにしてくれました。ちょうど服を着終わった時に母が迎えに来ました。帰りに玄関先で「いろんな勉強しなくちゃね」叔母はウィンクをしました。それから13年。叔母は53歳で孫が3人、私は28歳で妻と1人の息子がいます。まだまだ叔母の講習は続いています。
あれは、私が15歳、中学3年のときでした。
そのころ、塾に通っていましたが、家からは遠い為塾が終わると母の実家で夕食を食べ、母が迎えに来るのを待ってました。
夕食を作ってくれるのは、母の妹、つまり叔母でした。
叔母は当時40歳で専業主婦でした。
オナニーを覚えたての私は、いつも脱衣所の叔母のパンティーを探すのがとても楽しみで、塾に行くと言うよりも叔母の下着を見に行っているようなものでした。
ある時、母からの電話で「今日は遅くなるから、お風呂も入れてもらいなさい。
」と、連絡が入りました。
いつものように夕飯をご馳走になった後、叔母に「お風呂の準備が出来たから入りなさい」と言われ、叔母のパンティーを存分に楽しんだ後、お風呂に入りました。
さすがに風呂場でオナニーをするのは気が引けて我慢してお風呂をでました。
そこに立っていたのは叔母でした。
「○○君の背中を流してあげようと思って・・・。
」叔母は私の体を恥ずかしそうに、しかし観察するように眺めています。
私はオナニーを我慢して出てきたので勃起状態のままです。
恥ずかしくて風呂場に戻ろうとすると叔母が「小さいころはよく拭いてあげたのよ」とタオルで私の体を包み込むように拭いてくれました。
そして、叔母の手は私の勃起へと向かいます。
私は緊張で身動きが取れず、なすがままになっていました。
叔母はその勃起を右手でやさしくなぞりながら「ふぅ」と吐息に似た声を・・・。
2,3度上下させたあと、唇を近づけ、下のほうから舐め上げたかと思うと口の中に頬張りました。
初めて経験する温もりに私の感情は最高潮になり、暴発を起こしました。
「○○君のをこうしたかったの」舌なめずりをして叔母がいいました。
「私のパンティーでいやらしいことしてたでしょう?」叔母は、私がそれを見ながらオナニーをしていたことを知っていたようです。
それも当然といえば当然でしょう。
私の精液が少なくとも着いていたでしょうから。
叔母は私の手を引きリビングへ向かいます。
「女のここって、見た事ある?」といいながら、すでにスカートは叔母の腰の辺りでしわをつくり、パンティーは膝の上10センチのところまで降りています。
またもや緊張状態の私に、まるでストリッパーのようにじらしながら足を割りその茂みを自ら押し開いていきます。
私は甘い蜜に誘われる春の虫のように自然に顔が近づいていきました。
「触って」叔母はすでに興奮状態の自分の蜜壷に私の右手を誘導しました。
はじめて触れる女性器。
ヌルッとした手触りの中にポツリとある突起に指を伸ばすと「あぅっ」叔母は待ちかまえていたように反応します。
しばらくの間、その行為を繰り返していると叔母はだるそうに起きあがり私を仰向けに寝かせて唇を爆発寸前の勃起に近づけます。
その行為は先ほど経験していますが、やはり若かりし私には刺激が強すぎます。
もたしても叔母の口の中で爆発してしましました。
しかし、叔母の行動は終わりではありませんでした。
私の上に跨り、まだ興奮状態にある私のものを女性の核心へと導きました。
「とうとうつながっちゃったね」眉と眉のあいだに少ししわをよせて叔母が言います。
叔母は自分の腰を円を書くように私の上で、まるで何かにとり付かれたようにだんだんとリズムを早め、叔母の中の欲望を満たすために突き進みます。
時には自分で自らの突起に触れながら、そして時には私の精液のタンクを揉みながら・・・。
10分ぐらいの時間でしたでしょうか、そのころには私も余裕が出てきて叔母と上下を入れ替え、爆発へのタイマーをいれました。
ついにその時が来ました。
「中に・・お願い・・・」とぎれとぎれの声で叔母の最後の教えでした。
「すごくよかったよ。
」叔母は童貞を無くした私にやさしく言ってくれました。
「これからも、もっといろんな事を教えてあげる」そう言いながらまだ、勃起している私のものを口できれいにしてくれました。
ちょうど服を着終わった時に母が迎えに来ました。
帰りに玄関先で「いろんな勉強しなくちゃね」叔母はウィンクをしました。
それから13年。
叔母は53歳で孫が3人、私は28歳で妻と1人の息子がいます。
まだまだ叔母の講習は続いています。