妻子ある34才の男ですが、いまだに母との近親相姦が止められません。 母は私の初めての女です。 もう20年以上も前になります。 私が小学5年生の時です。 当時既にセックスの知識はあり、オナニーの経験もありました。 オナニーのネタは専ら6歳年上の高校生の姉の派手な下着で、既に四十路を迎えていた母には女としての魅力を感じていませんでした。 ところがある夏の夜、居間で母が酔いつぶれて寝ていました。 ノーブラでTシャツに短パンという、だらしなくも煽情的な格好は、性に目覚めたばかりの私を狂わせるのに十分でした。 姉はとっくに自分の部屋で寝ています。 父は出張でした。 目の前に母が無防備な姿で熟睡している、今なら自分の自由にできる! そう思った私は異常に興奮し、先ず母の胸を揉んでみました。 全く起きません。 それから色々イタズラしたのですが、全くの無反応。 調子に乗った私は母のパンツを下ろしました。 母のアソコは毛がモジャモジャで、形状は良く分からなかったけれど、陰唇を左右に広げると、膣口がパカッと口を開けていて、とりあえず穴があいている所だけは確認できたので、私もパンツを脱いでピンピンになったチンポコを母の穴ぼこに押し当ててみました。 それだけでもけっこう気持ちよかったのですが、この際だからセックスまでやってしまおうと思って、穴に入れる事にしました。 最初はなかなか入らなかったのだけれど、腰をモゾモゾ動かしているとニュルッと入っていきました。 あとは本能に任せて腰を振っていました。 あ、なんか来た、出る!そんな感じでものの1分くらいで、母の膣に思いっきり放出してしまいました。 そのときあんまり強く打ち付けたので、とうとう母は起きてしまいました。 「何してるの!アンタは。」 驚いた口調でしたが決して怒気を含んだものではなかったと思います。 それはそうでしょう。 目が覚めたら小学生の息子がチンポを打ち込んでいるのですから・・。 「ビックリしたぁ〜!・・なんか気持ちイイと思ったら・・。あ!出したの!?中で!」 「うん。」 「んもう〜。この子は・・・末恐ろしい子やわ・・・。」 まだ、チンポははまったままだったので、私は前後に腰を動かしました。 すると母は「アッ!アッ!」と声を上げ私の腕をぎゅっと掴みました。 私はお許しを得たものと解釈し、Tシャツをたくし上げ、母の乳首を口に含みました。 すると母は自分からTシャツを脱いで全裸になると、下から私のパジャマを脱がしにかかり、遂に二人とも素っ裸になって抱き合いました。 その夜から、腰の使い方について、母に色々と指示されたように思います。 最後はまたもや中だしでした。 ********* 以来、母とは20年の永きに渡り関係を続けてきました。 ちょうど父に相手にされなくなった頃であり、女盛りの身体を持て余していた頃だったのでしょう。 確かに最初に母を犯したのは私の方ですが、それ以降は私はまるで母の玩具でした。 小学生の息子のチンポをふやけるまでシャブリ続け、ユルユルのオマンコで10回以上も射精させたあと、たたなくなったチンポを尚も玩んでいました。 たとえば左右のキンタマを入れ替えようと小1時間もいじっていたことがあります(笑)。 私が中学、高校と成長するに連れて、プレイも過激なものになってきました。 父や姉を放っておいて良く二人で旅行に行き、旅先でファックを楽しみました。 母の学生時代の友人(もちろんオバサン)にレンタルされ、帰ってきてからその様子を事細かに報告させられ、興奮した母がやおらパンツを脱ぎ、またがってくるようなこともしばしばありました。 母が私の子供を身ごもったことも二回あります。 もっとも、いずれも流産してしまいましたが・・・・。「神様が『産んだらいけん』って言ってるんよ。」と母は笑っていました・・・。 そんな母も今年で66歳になりますが、今でも週に2〜3回、ケータイに「次はいつ来るん?」とHメールが送られてきます。 さすがに回数こそ減りましたが、月イチのペースで頑張っています。 最近は数回ピストンするだけで自分だけイッテしまい、それだけで満足してしまうので、あとは延々とフェラチオさせて、最後は必ず飲ませています。 陰毛もまばらになり、白いものも目立つようになりましたが、まだ生理は上がっていません。 現役の「オンナ」である間は可愛がってやろうと思っています。
妻子ある34才の男ですが、いまだに母との近親相姦が止められません。
母は私の初めての女です。
もう20年以上も前になります。
私が小学5年生の時です。
当時既にセックスの知識はあり、オナニーの経験もありました。
オナニーのネタは専ら6歳年上の高校生の姉の派手な下着で、既に四十路を迎えていた母には女としての魅力を感じていませんでした。
ところがある夏の夜、居間で母が酔いつぶれて寝ていました。
ノーブラでTシャツに短パンという、だらしなくも煽情的な格好は、性に目覚めたばかりの私を狂わせるのに十分でした。
姉はとっくに自分の部屋で寝ています。
父は出張でした。
目の前に母が無防備な姿で熟睡している、今なら自分の自由にできる! そう思った私は異常に興奮し、先ず母の胸を揉んでみました。
全く起きません。
それから色々イタズラしたのですが、全くの無反応。
調子に乗った私は母のパンツを下ろしました。
母のアソコは毛がモジャモジャで、形状は良く分からなかったけれど、陰唇を左右に広げると、膣口がパカッと口を開けていて、とりあえず穴があいている所だけは確認できたので、私もパンツを脱いでピンピンになったチンポコを母の穴ぼこに押し当ててみました。
それだけでもけっこう気持ちよかったのですが、この際だからセックスまでやってしまおうと思って、穴に入れる事にしました。
最初はなかなか入らなかったのだけれど、腰をモゾモゾ動かしているとニュルッと入っていきました。
あとは本能に任せて腰を振っていました。
あ、なんか来た、出る!そんな感じでものの1分くらいで、母の膣に思いっきり放出してしまいました。
そのときあんまり強く打ち付けたので、とうとう母は起きてしまいました。
「何してるの!アンタは。
」 驚いた口調でしたが決して怒気を含んだものではなかったと思います。
それはそうでしょう。
目が覚めたら小学生の息子がチンポを打ち込んでいるのですから・・。
「ビックリしたぁ〜!・・なんか気持ちイイと思ったら・・。
あ!出したの!?中で!」 「うん。
」 「んもう〜。
この子は・・・末恐ろしい子やわ・・・。
」 まだ、チンポははまったままだったので、私は前後に腰を動かしました。
すると母は「アッ!アッ!」と声を上げ私の腕をぎゅっと掴みました。
私はお許しを得たものと解釈し、Tシャツをたくし上げ、母の乳首を口に含みました。
すると母は自分からTシャツを脱いで全裸になると、下から私のパジャマを脱がしにかかり、遂に二人とも素っ裸になって抱き合いました。
その夜から、腰の使い方について、母に色々と指示されたように思います。
最後はまたもや中だしでした。
********* 以来、母とは20年の永きに渡り関係を続けてきました。
ちょうど父に相手にされなくなった頃であり、女盛りの身体を持て余していた頃だったのでしょう。
確かに最初に母を犯したのは私の方ですが、それ以降は私はまるで母の玩具でした。
小学生の息子のチンポをふやけるまでシャブリ続け、ユルユルのオマンコで10回以上も射精させたあと、たたなくなったチンポを尚も玩んでいました。
たとえば左右のキンタマを入れ替えようと小1時間もいじっていたことがあります(笑)。
私が中学、高校と成長するに連れて、プレイも過激なものになってきました。
父や姉を放っておいて良く二人で旅行に行き、旅先でファックを楽しみました。
母の学生時代の友人(もちろんオバサン)にレンタルされ、帰ってきてからその様子を事細かに報告させられ、興奮した母がやおらパンツを脱ぎ、またがってくるようなこともしばしばありました。
母が私の子供を身ごもったことも二回あります。
もっとも、いずれも流産してしまいましたが・・・・。
「神様が『産んだらいけん』って言ってるんよ。
」と母は笑っていました・・・。
そんな母も今年で66歳になりますが、今でも週に2〜3回、ケータイに「次はいつ来るん?」とHメールが送られてきます。
さすがに回数こそ減りましたが、月イチのペースで頑張っています。
最近は数回ピストンするだけで自分だけイッテしまい、それだけで満足してしまうので、あとは延々とフェラチオさせて、最後は必ず飲ませています。
陰毛もまばらになり、白いものも目立つようになりましたが、まだ生理は上がっていません。
現役の「オンナ」である間は可愛がってやろうと思っています。