私は36歳の会社員です。10年前の3月、実の母親と関係を持ってしまいました。当時私は26歳、母は52歳で、妻が出産のため実家に帰っているあいだ、私の身の回りの手伝いに、母がちょくちょく家に泊まりに来ていました。3月の中旬のある夜、私は仕事帰りに同僚と一杯飲んで、その帰りに自慰をするためアダルトビデオを借りました。シャワーを浴びる前に抜こうと、ほとんど全裸でビデオを見ながらペニスを扱いていました。興奮はすぐに限界近くまで高まり、いつでも射精ができる状態にもっていきタイミングを計りながらせっせとペニスを扱いていた時、ビデオをみている居間の隣の客間から、いきなり母が出てきました。まさか泊まっているとは思わず、私は何の確認もしていませんでした。突然だったこともありますが、服を全部脱いでいた私は隠すことも出来ず、恥ずかしいところをまともに見られてしまいました。母は狼狽したように「ご、ごめんなさい、」と言い、私はとりあえずクッションでペニスを隠し、母に背を向けました。ものすごく恥ずかしくて消えてしまいたい状態でしたが、なんとか「こっちこそ、ごめん」と言いました。母は私の後ろで立ちすくんでいるようでしたが、私に近づいて後ろに座り、肩に手を乗せて「ごめんね、母さん気がきかなくて」と言いました。私が返答する間もなく肩に乗った母の手がするすると動き、ペニスを隠しているクッションに滑り込んできました。「ちょ、ちょっと、まずいよ」と言うと、母は「いいのよ、母さんは手伝いに来てるんだから」と言い、ペニスに触れてきました。母は「ほら、これどけて」と言ってクッションを取ると、本格的にペニスを扱き始めました。どのくらい扱いていたかは分かりませんが、やがて私は我慢できなくなり、母の手淫で射精してしまいました。母はその勢いに驚きの声をあげ、その量を見て「こんなに我慢してたんだねぇ、ミキちゃん(妻の名)が戻るまで、母さんがしてあげるからね」と言いました。それからは1日おきに母が泊まりに来ました。汚れるからという理由で一緒に入浴し、母が手で抜いてくれました。やがて手淫で時間がかかるようになると、口で奉仕してくれるようになり、しかも口の中で射精させてくれるようになりました。母は口中に射精される精液を吐き出さず、全て飲み込んでくれました。妻にも精飲などしてもらったことがなかった私は、驚きつつも、快い悦びを感じました。そういう状態でしたから、最後の一線を越えてしまったのも、しょうがないことだったのかもしれません。母と最初につながったのは風呂場でした。次第に母は色々な私の要求を受け入れてくれるようになっていて、その時は後ろから母を抱き、胸を揉みながら母にペニスを擦り付けていました。入れてしまいたいという思いが込み上げ、「…母さん、入れていい?」と聞きましたが、母は何も答えませんでした。私は恐る恐る母のヴァギナに触れました。母は抵抗せず、それどころか低く唸るように「おぉ…」と喘ぎました。母のそこは濡れており、私の指をスムーズに受け入れました。母の膣内を指で感じると、もう我慢できませんでした。「母さん、ごめん、ごめんね」母のヴァギナにペニスの先端を擦り付け、ゆっくり膣口に挿入しました。母は苦しそうに「ん、うぅ、」と声を出し、身体に力が入りました。私は後ろから狂ったように腰を動かし激しいピストンを繰り返し、我慢することも躊躇することもなく母の中に射精してしまったのです。それから私と母は夫婦以上に、恋人以上に、貪るようにセックスしました。禁断の関係である故か、妻とのセックスよりも快感が強く、どうしても止められませんでした。母も同様に私の行為を止めることもなく、私とのセックスで艶やかに悶え、喘ぎ、さすが年の功というのか、絶妙に挿入感を得られるタイミングで腰を動かしてくれました。母との行為は妻が実家から戻る日までほぼ毎日、2ヶ月以上も続きました。それからも母との関係は少しずつ今でも続いており、月に1回〜2回程度、セックスしています。母は既に62歳ですが身体は52歳当時とあまり変わりなく、そして今でも大量に濡れますし、セックスでは未だに激しく感じてくれます。もう10年も続いていますが、やはり母に深々と挿入する時には言いがたい罪悪感が付きまといます。しかし同時に、他では得がたい快感も当時と変わりありません。母と子の禁忌、この快感を一度味わってしまうと、もう通常のセックスでは決して満足できないということでしょう。
私は36歳の会社員です。
10年前の3月、実の母親と関係を持ってしまいました。
当時私は26歳、母は52歳で、妻が出産のため実家に帰っているあいだ、私の身の回りの手伝いに、母がちょくちょく家に泊まりに来ていました。
3月の中旬のある夜、私は仕事帰りに同僚と一杯飲んで、その帰りに自慰をするためアダルトビデオを借りました。
シャワーを浴びる前に抜こうと、ほとんど全裸でビデオを見ながらペニスを扱いていました。
興奮はすぐに限界近くまで高まり、いつでも射精ができる状態にもっていきタイミングを計りながらせっせとペニスを扱いていた時、ビデオをみている居間の隣の客間から、いきなり母が出てきました。
まさか泊まっているとは思わず、私は何の確認もしていませんでした。
突然だったこともありますが、服を全部脱いでいた私は隠すことも出来ず、恥ずかしいところをまともに見られてしまいました。
母は狼狽したように「ご、ごめんなさい、」と言い、私はとりあえずクッションでペニスを隠し、母に背を向けました。
ものすごく恥ずかしくて消えてしまいたい状態でしたが、なんとか「こっちこそ、ごめん」と言いました。
母は私の後ろで立ちすくんでいるようでしたが、私に近づいて後ろに座り、肩に手を乗せて「ごめんね、母さん気がきかなくて」と言いました。
私が返答する間もなく肩に乗った母の手がするすると動き、ペニスを隠しているクッションに滑り込んできました。
「ちょ、ちょっと、まずいよ」と言うと、母は「いいのよ、母さんは手伝いに来てるんだから」と言い、ペニスに触れてきました。
母は「ほら、これどけて」と言ってクッションを取ると、本格的にペニスを扱き始めました。
どのくらい扱いていたかは分かりませんが、やがて私は我慢できなくなり、母の手淫で射精してしまいました。
母はその勢いに驚きの声をあげ、その量を見て「こんなに我慢してたんだねぇ、ミキちゃん(妻の名)が戻るまで、母さんがしてあげるからね」と言いました。
それからは1日おきに母が泊まりに来ました。
汚れるからという理由で一緒に入浴し、母が手で抜いてくれました。
やがて手淫で時間がかかるようになると、口で奉仕してくれるようになり、しかも口の中で射精させてくれるようになりました。
母は口中に射精される精液を吐き出さず、全て飲み込んでくれました。
妻にも精飲などしてもらったことがなかった私は、驚きつつも、快い悦びを感じました。
そういう状態でしたから、最後の一線を越えてしまったのも、しょうがないことだったのかもしれません。
母と最初につながったのは風呂場でした。
次第に母は色々な私の要求を受け入れてくれるようになっていて、その時は後ろから母を抱き、胸を揉みながら母にペニスを擦り付けていました。
入れてしまいたいという思いが込み上げ、「…母さん、入れていい?」と聞きましたが、母は何も答えませんでした。
私は恐る恐る母のヴァギナに触れました。
母は抵抗せず、それどころか低く唸るように「おぉ…」と喘ぎました。
母のそこは濡れており、私の指をスムーズに受け入れました。
母の膣内を指で感じると、もう我慢できませんでした。
「母さん、ごめん、ごめんね」母のヴァギナにペニスの先端を擦り付け、ゆっくり膣口に挿入しました。
母は苦しそうに「ん、うぅ、」と声を出し、身体に力が入りました。
私は後ろから狂ったように腰を動かし激しいピストンを繰り返し、我慢することも躊躇することもなく母の中に射精してしまったのです。
それから私と母は夫婦以上に、恋人以上に、貪るようにセックスしました。
禁断の関係である故か、妻とのセックスよりも快感が強く、どうしても止められませんでした。
母も同様に私の行為を止めることもなく、私とのセックスで艶やかに悶え、喘ぎ、さすが年の功というのか、絶妙に挿入感を得られるタイミングで腰を動かしてくれました。
母との行為は妻が実家から戻る日までほぼ毎日、2ヶ月以上も続きました。
それからも母との関係は少しずつ今でも続いており、月に1回〜2回程度、セックスしています。
母は既に62歳ですが身体は52歳当時とあまり変わりなく、そして今でも大量に濡れますし、セックスでは未だに激しく感じてくれます。
もう10年も続いていますが、やはり母に深々と挿入する時には言いがたい罪悪感が付きまといます。
しかし同時に、他では得がたい快感も当時と変わりありません。
母と子の禁忌、この快感を一度味わってしまうと、もう通常のセックスでは決して満足できないということでしょう。