私は29歳になる会社員の男です。両親と妹の4人家族で東京で生活しております。今回は、我が家の性生活に言及しながら私が母と初体験をした経緯を書かせていただこうと思います。私の母は非常に几帳面な性格で、躾の厳しい母でした。特に掃除や整理整頓という習慣については厳しく、トイレの掃除やお風呂の掃除など表面的でない、面倒な部分、下の部分についてきちんとできる人が優れていると繰り返し教わったものでした。少年の頃は包茎ペニスですから多くの人同様トイレはおしっこを図らずも散らかしてしまう事が多く有り、母はこっそり僕を呼ぶと一緒に拭いてくれたものでした。そんな母ですが、非常に優しい母であり、気配りのできる母です。私が12歳の頃、精通があり、ほどなくしてオナニーをするようになりました。初心者という方はおかしいですが、僕は自分の射精をどう処理していいか分からず母の下着にいたずらしながら、洗濯機の周辺に飛び散らせたり、リビングのゴミ箱にポタポタ落としたりしていました。ある日母は、僕を呼び、「最近エッチなことし始めたのね」と僕の股間を指差しました。顔から火が出そうな位恥ずかしくうつむくと、「みんなしてることだから大丈夫よ。出す時にどうすれば良いか教えてあげる」と言い、オナニーをするように言いました。私はそのころペニスの先をこするようにしておりましたが、「先っぽは大きくした方が気持ち良いから裏をこするようにしてごらん」と教えてくれ、自らの手でやってみせてくれ、大変気持ち良いことを教わりました。そして程無くして射精感がこみ上げてきたことを察した母は、「出そう?ちょっとやめて。出す時は、先っぽをこうやって出して、ハンカチを下に入れるときれいにできるのよ」と、ペニスの亀頭を露出させ、下から包み込むようにハンカチを当てました。母の手は器用にペニスをさすり、そのまま射精してしまいました。不思議なことに射精した精液はきれいにハンカチに包まれ、母はハンカチをたたみ、きれいな面でペニスを拭いてくれました。「ほらね、こうすれば汚さなくて済むでしょ」。母はティッシュではなくハンカチの方が柔らかくて良いこと、そのハンカチは洗濯機に入れておけば良いことを話すとにっこり微笑んで戻っていきました。中学・高校と進学するにつれて、ハンカチも一日に2枚、3枚と使うようになりましたが、母はその度に自分のハンカチを「お下がりでごめんね」と言いながら渡してくれました。当時はまだビデオやDVDではなく本をオナニーに使っておりました。写真でしか見たことが無い女性の裸体への憧れは大きくなり、母のお風呂を覗く行為だけでは不満になってきました。それ以上進みたいけれども度胸が無い私に気付いていても何も言わなかった母がついに「体験させてあげようか?」と声を掛けてくれました。お風呂でということでしたが、今になって思えば精液や膣分泌液、唾液など行為の後始末を考えた母らしい考えでした。母は服を僕に脱がせるように言いましたが、不覚にもペニスはびんびんに勃起してしまいました。ブラのホックの外し方からパンティの脱がし方まで丁寧に教えてくれました。そして僕の服を器用に脱がせると、ペニスをさすり、そのまま握りお風呂に引っ張っていきました。お互いの体を洗いながら女性の胸の揉み方や舐め方を教えてくれました。一通り私の好きなようにやらせてから教えるのが母のやり方でした。最初は包茎だったためか痛みのあったフェラでしたが、機敏に察してくれソフトに咥えてくれ、そのねっとりした感触にへたり込んでしまいました。母はまずは体験と挿入を騎乗位で試みましたが、残念ながらしぼんでしまいだめでした。そこで母は先に体の仕組みを開脚して教えてくれ、ペニスがまた硬度を増すのを待って挿入させてくれました。挿入できたペニスの感覚、抜き差しの光景など感動的でしたが、なにより裸で母と抱き合った温かさが一番嬉しい感触でした。騎乗位からお風呂の淵に母が座り直し、正常位に近い体制で私に自ら主導権を与えてくれ、そのまま母の膣の中で射精しました。ペニスの脈動が収まってから母は軽くキスしてくれました。以降お風呂で母との性行為は幾度と無く繰り返されることになりました。
私は29歳になる会社員の男です。
両親と妹の4人家族で東京で生活しております。
今回は、我が家の性生活に言及しながら私が母と初体験をした経緯を書かせていただこうと思います。
私の母は非常に几帳面な性格で、躾の厳しい母でした。
特に掃除や整理整頓という習慣については厳しく、トイレの掃除やお風呂の掃除など表面的でない、面倒な部分、下の部分についてきちんとできる人が優れていると繰り返し教わったものでした。
少年の頃は包茎ペニスですから多くの人同様トイレはおしっこを図らずも散らかしてしまう事が多く有り、母はこっそり僕を呼ぶと一緒に拭いてくれたものでした。
そんな母ですが、非常に優しい母であり、気配りのできる母です。
私が12歳の頃、精通があり、ほどなくしてオナニーをするようになりました。
初心者という方はおかしいですが、僕は自分の射精をどう処理していいか分からず母の下着にいたずらしながら、洗濯機の周辺に飛び散らせたり、リビングのゴミ箱にポタポタ落としたりしていました。
ある日母は、僕を呼び、「最近エッチなことし始めたのね」と僕の股間を指差しました。
顔から火が出そうな位恥ずかしくうつむくと、「みんなしてることだから大丈夫よ。
出す時にどうすれば良いか教えてあげる」と言い、オナニーをするように言いました。
私はそのころペニスの先をこするようにしておりましたが、「先っぽは大きくした方が気持ち良いから裏をこするようにしてごらん」と教えてくれ、自らの手でやってみせてくれ、大変気持ち良いことを教わりました。
そして程無くして射精感がこみ上げてきたことを察した母は、「出そう?ちょっとやめて。
出す時は、先っぽをこうやって出して、ハンカチを下に入れるときれいにできるのよ」と、ペニスの亀頭を露出させ、下から包み込むようにハンカチを当てました。
母の手は器用にペニスをさすり、そのまま射精してしまいました。
不思議なことに射精した精液はきれいにハンカチに包まれ、母はハンカチをたたみ、きれいな面でペニスを拭いてくれました。
「ほらね、こうすれば汚さなくて済むでしょ」。
母はティッシュではなくハンカチの方が柔らかくて良いこと、そのハンカチは洗濯機に入れておけば良いことを話すとにっこり微笑んで戻っていきました。
中学・高校と進学するにつれて、ハンカチも一日に2枚、3枚と使うようになりましたが、母はその度に自分のハンカチを「お下がりでごめんね」と言いながら渡してくれました。
当時はまだビデオやDVDではなく本をオナニーに使っておりました。
写真でしか見たことが無い女性の裸体への憧れは大きくなり、母のお風呂を覗く行為だけでは不満になってきました。
それ以上進みたいけれども度胸が無い私に気付いていても何も言わなかった母がついに「体験させてあげようか?」と声を掛けてくれました。
お風呂でということでしたが、今になって思えば精液や膣分泌液、唾液など行為の後始末を考えた母らしい考えでした。
母は服を僕に脱がせるように言いましたが、不覚にもペニスはびんびんに勃起してしまいました。
ブラのホックの外し方からパンティの脱がし方まで丁寧に教えてくれました。
そして僕の服を器用に脱がせると、ペニスをさすり、そのまま握りお風呂に引っ張っていきました。
お互いの体を洗いながら女性の胸の揉み方や舐め方を教えてくれました。
一通り私の好きなようにやらせてから教えるのが母のやり方でした。
最初は包茎だったためか痛みのあったフェラでしたが、機敏に察してくれソフトに咥えてくれ、そのねっとりした感触にへたり込んでしまいました。
母はまずは体験と挿入を騎乗位で試みましたが、残念ながらしぼんでしまいだめでした。
そこで母は先に体の仕組みを開脚して教えてくれ、ペニスがまた硬度を増すのを待って挿入させてくれました。
挿入できたペニスの感覚、抜き差しの光景など感動的でしたが、なにより裸で母と抱き合った温かさが一番嬉しい感触でした。
騎乗位からお風呂の淵に母が座り直し、正常位に近い体制で私に自ら主導権を与えてくれ、そのまま母の膣の中で射精しました。
ペニスの脈動が収まってから母は軽くキスしてくれました。
以降お風呂で母との性行為は幾度と無く繰り返されることになりました。