私の場合は、大学1年生の夏、帰宅時に見ず知らずの2人組の男に拉致されて以来、約1年半近く、犯され続けました。そのことを、思い出せる限り細かく思い出して書いてみます。車に引きずりこまれると、目隠しと手錠、口をガムテープでふさがれ、震える私を車にのせてどこかの部屋へつれていかれました。それからは地獄のような体験でした。部屋に着いて目隠しをはずされると、彼らのほかに3人の男がいました。部屋へ連れ込まれるとすぐに仰向けに押し倒され、大の字で押さえつけられました。男の一人が、私の胸より少し上のところで膝立ちになり、私の髪の毛をつかむと、目の前に自分のものを突き出してなめるようにいいました。でも、そのときの私はセックスの経験はほとんどなく、まして男の人のものをなめたことは一度もありませんでしたし、おしっこのにおいも少しあったので、思わず「いや」、と叫んでしまいました。私はその男から、髪の毛をつかまれたまま何度も何度も平手打ちされました。何分ぐらいそうされたのかはぜんぜんわかりませんが、だんだん痛みも感じなくなり、気が遠くなる感じになったころ、口をこじ開けられて口の中に無理やり男のものを押し込まれました。私はもう抵抗する気力がなかったので、言われるままに舌を這わせましたが、経験がないので時々歯が当たってしまいます。そのたびに男は数を数えていました。それを5人分させられました。みんな口の中で出し、全部飲まされました。もちろん男の人の精液などそれまでには飲んだことがなく、すごい苦味で吐き気がしました。そのあと、洋服かけ(学校の鉄棒みたいなやつです。)に、立った姿勢で縛り付けられました。両手を水平にして、両足を開いた格好で、両手首と両足首を縛られて、口の中にタオルを押し込まれて猿轡をされました。それから、胸をはだけられ、スカートもたくしあげられました。明るいところで見ず知らずの5人もの男の前で裸になるのはすごくはずかしいことですが、それ以上に次に何をされるのだろうという怖さがすごく大きかったです。男たちに、さっき数を数えていたのは、私を鞭打ちにする回数だといわれたときには、昔女子高生が監禁されて暴力を振るわれつづけて殺された事件を思い出して、私も同じようにこのまま殺されると真剣に思いました。それからは激痛しか記憶にありません。それもしばらくすると気絶してしまったようで、気がついたら、そのままの格好で放置されていました。私は鞭で打たれているときに失禁してしまったらしく、私が気がついたと男がわかると、すぐに解かれましたが、私のおしっこで濡れた下着を猿轡のかわりに口の中へ入れられました。私は鞭で打たれて死んでいたほうがよかったと思いました。それから、また仰向けに押さえつけられ、足を開いたままひざを胸のほうまで曲げてくる格好で全員に何度も犯されました。当然、彼らは避妊などしてくれるはずもありません。そんな調子で一睡もできないまま、次の日も朝から晩まで縛られ、数え切れないほど犯され、鞭打ちされたり何回もしゃぶらされたり排泄もみんなの前で強要されてしました。最後のほうには、続けて犯された後でおしっこをかけられ、無理やり飲まされました。二日ほど後に、その男がマンションに来てバッグの中からビデオテープを取り出し、すぐに見るようにいわれました。体が震え始めました。まさかビデオにまで撮られているとは思いませんでした。あっ・・と声を上げたわたしは、体ががくがくして、立っていられなくなりました。どうしてもと脅かされ半ば強制的に連れ出されて、今度もまたあの部屋に連れて行かれました。私は自分の部屋でされるのは耐えられなかったし、我慢するしかないと自分に言い聞かせ、我慢することにしました。でもそれは間違いでした。今度は、そこに十人ほどの男が待っていて、その中の一人に服を自分で脱ぐようにいわれ、泣きながら従いました。全裸になったとたん一斉に襲い掛かってきて犯し始めました。痛くて途中で意識を失いましたが、気がつくとまだ三、四人に囲まれて犯されていました。あたりまえですが、当然のようにビデをも撮られました。彼らに体じゅうさわられ、指や異物を入れられました。彼らにかわるがわる何回も何回も犯されました。ずっと中で出されつづけ、血だらけになっても犯されました。もう恐怖も痛みもありませんでした。そしてこれが今日だけで決して終わらないこともわかりました。やっと終わると風呂場で何度か排泄を強要され、お尻でもセックスさせられてまた意識を失いました。起こされると、また人形か奴隷でも扱うように好き勝手な事を強要してきて全員が満足するまでつづきました。そしてその後も頻繁に呼び出され続け、犯されました。最初の2−3回は徹底的に責められたように思います。バイブを入れられ、縛られたまま放置されたとき、気持ちに反して体は反応してしまう自分の体が、とても汚いものに思えてすごくつらい思いをしました。でも、肉体的な苦痛よりも精神的に責められるほうがずっと苦痛でした。彼らは最初から避妊などしませんから、次の生理が来ないのは当然のことでした。けれども2回目に犯されたときから、しゃぶることを命じられると自分からくださいといわされ、男に犯されているときは、男が射精する前には中で出してくださいといわされました。当然本心ではありませんから、排卵日のときにはさすがにいえませんでした。その日は、全裸でテーブルに仰向けにしばられ、体じゅうに煙草を押し付けられたり、鞭の傷跡に塩とかを塗られたりもしました。ほしくもない精液をほしいと言わされ、妊娠の恐怖を持ちながら自分の中から流れて出てくる精液を洗い流すときの気持ちは、犯されたことのある女の人にしかわからないと思います。生理が来ないと男に伝えても、おろせばいいだろと軽くいわれたのもショックでしたが、検査と中絶のために2回、診察台で下半身をさらすのはもっと苦痛でした。おろした後1週間ぐらいは犯されませんでしたが、中絶したことを男たちに伝えたら、また何度でもはらませてやるよといわれ、それからは精液をほしいと言わされるときには、また妊娠させられてもいいから、とまで言わされました。結局彼らのおもちゃにされつづけた1年半の間に、3回妊娠させられました。2回目のときは1週間、ほとんど眠るひまもなくずっと交代で犯され続け、おもちゃなどで私の中を突かれつづけて、強制流産させられました。3回目のときには、真冬なのに水風呂に入れられて、窒息しかけるまで顔を水につけられたり、鞭打ちや、前に書いたような苦痛を味合わされたあと、こたつの上に膝立ちにさせられたまま、おなかに何度もボール(バスケットボール?)を思いきりぶつけられました。その間ずっと両手を頭の後ろで組んでいなければなりませんでした。やがて下腹部に激痛がはしり、中から血が出てきて、病院にいかされました。いつでも後始末はひとりきりでした。こうして文章にしてみると、自分はすごく恐ろしい体験をしたのだなと改めて感じますが、この頃はひどいことをされて当たり前でしたから、自分のされていることがどういうことかと思うよりまず耐える覚悟をするのに精一杯で、こんなことを強いられても心の痛みを感じる余裕はありませんでした。彼らの奴隷となっている間、自殺しようと思ったことは何度もありました。でも、こういうことが原因だとは絶対に知られたくありませんでしたので、結局時期を逃してしまいました。結果的にはそれでよかったのですが。彼らとの関係が切れたのは、それから1ヶ月ほどしてからでした。私のことが飽きたといって、彼らのほうから縁を切ってきました。その時には、すでに別の女の子を弄んでいたようです。それから普通にセックスができるようになるまでに3年くらいかかりましたが、いまだにセックスがいいと思ったことはありません。ただ自分の体が、もうとりかえしがつかないほどになったという気持ちが強いためか、たいていのことには耐えられるから好きなようにされてもいいというような、さめた気持ちでいます。すごく悔しいことですが、性的な快楽のようなものは、むしろ犯されていた時のほうがあったと思います。私が性的な快楽を感じるには、またこのような体験が必要なのでしょうか。
私の場合は、大学1年生の夏、帰宅時に見ず知らずの2人組の男に拉致されて以来、約1年半近く、犯され続けました。
そのことを、思い出せる限り細かく思い出して書いてみます。
車に引きずりこまれると、目隠しと手錠、口をガムテープでふさがれ、震える私を車にのせてどこかの部屋へつれていかれました。
それからは地獄のような体験でした。
部屋に着いて目隠しをはずされると、彼らのほかに3人の男がいました。
部屋へ連れ込まれるとすぐに仰向けに押し倒され、大の字で押さえつけられました。
男の一人が、私の胸より少し上のところで膝立ちになり、私の髪の毛をつかむと、目の前に自分のものを突き出してなめるようにいいました。
でも、そのときの私はセックスの経験はほとんどなく、まして男の人のものをなめたことは一度もありませんでしたし、おしっこのにおいも少しあったので、思わず「いや」、と叫んでしまいました。
私はその男から、髪の毛をつかまれたまま何度も何度も平手打ちされました。
何分ぐらいそうされたのかはぜんぜんわかりませんが、だんだん痛みも感じなくなり、気が遠くなる感じになったころ、口をこじ開けられて口の中に無理やり男のものを押し込まれました。
私はもう抵抗する気力がなかったので、言われるままに舌を這わせましたが、経験がないので時々歯が当たってしまいます。
そのたびに男は数を数えていました。
それを5人分させられました。
みんな口の中で出し、全部飲まされました。
もちろん男の人の精液などそれまでには飲んだことがなく、すごい苦味で吐き気がしました。
そのあと、洋服かけ(学校の鉄棒みたいなやつです。
)に、立った姿勢で縛り付けられました。
両手を水平にして、両足を開いた格好で、両手首と両足首を縛られて、口の中にタオルを押し込まれて猿轡をされました。
それから、胸をはだけられ、スカートもたくしあげられました。
明るいところで見ず知らずの5人もの男の前で裸になるのはすごくはずかしいことですが、それ以上に次に何をされるのだろうという怖さがすごく大きかったです。
男たちに、さっき数を数えていたのは、私を鞭打ちにする回数だといわれたときには、昔女子高生が監禁されて暴力を振るわれつづけて殺された事件を思い出して、私も同じようにこのまま殺されると真剣に思いました。
それからは激痛しか記憶にありません。
それもしばらくすると気絶してしまったようで、気がついたら、そのままの格好で放置されていました。
私は鞭で打たれているときに失禁してしまったらしく、私が気がついたと男がわかると、すぐに解かれましたが、私のおしっこで濡れた下着を猿轡のかわりに口の中へ入れられました。
私は鞭で打たれて死んでいたほうがよかったと思いました。
それから、また仰向けに押さえつけられ、足を開いたままひざを胸のほうまで曲げてくる格好で全員に何度も犯されました。
当然、彼らは避妊などしてくれるはずもありません。
そんな調子で一睡もできないまま、次の日も朝から晩まで縛られ、数え切れないほど犯され、鞭打ちされたり何回もしゃぶらされたり排泄もみんなの前で強要されてしました。
最後のほうには、続けて犯された後でおしっこをかけられ、無理やり飲まされました。
二日ほど後に、その男がマンションに来てバッグの中からビデオテープを取り出し、すぐに見るようにいわれました。
体が震え始めました。
まさかビデオにまで撮られているとは思いませんでした。
あっ・・と声を上げたわたしは、体ががくがくして、立っていられなくなりました。
どうしてもと脅かされ半ば強制的に連れ出されて、今度もまたあの部屋に連れて行かれました。
私は自分の部屋でされるのは耐えられなかったし、我慢するしかないと自分に言い聞かせ、我慢することにしました。
でもそれは間違いでした。
今度は、そこに十人ほどの男が待っていて、その中の一人に服を自分で脱ぐようにいわれ、泣きながら従いました。
全裸になったとたん一斉に襲い掛かってきて犯し始めました。
痛くて途中で意識を失いましたが、気がつくとまだ三、四人に囲まれて犯されていました。
あたりまえですが、当然のようにビデをも撮られました。
彼らに体じゅうさわられ、指や異物を入れられました。
彼らにかわるがわる何回も何回も犯されました。
ずっと中で出されつづけ、血だらけになっても犯されました。
もう恐怖も痛みもありませんでした。
そしてこれが今日だけで決して終わらないこともわかりました。
やっと終わると風呂場で何度か排泄を強要され、お尻でもセックスさせられてまた意識を失いました。
起こされると、また人形か奴隷でも扱うように好き勝手な事を強要してきて全員が満足するまでつづきました。
そしてその後も頻繁に呼び出され続け、犯されました。
最初の2−3回は徹底的に責められたように思います。
バイブを入れられ、縛られたまま放置されたとき、気持ちに反して体は反応してしまう自分の体が、とても汚いものに思えてすごくつらい思いをしました。
でも、肉体的な苦痛よりも精神的に責められるほうがずっと苦痛でした。
彼らは最初から避妊などしませんから、次の生理が来ないのは当然のことでした。
けれども2回目に犯されたときから、しゃぶることを命じられると自分からくださいといわされ、男に犯されているときは、男が射精する前には中で出してくださいといわされました。
当然本心ではありませんから、排卵日のときにはさすがにいえませんでした。
その日は、全裸でテーブルに仰向けにしばられ、体じゅうに煙草を押し付けられたり、鞭の傷跡に塩とかを塗られたりもしました。
ほしくもない精液をほしいと言わされ、妊娠の恐怖を持ちながら自分の中から流れて出てくる精液を洗い流すときの気持ちは、犯されたことのある女の人にしかわからないと思います。
生理が来ないと男に伝えても、おろせばいいだろと軽くいわれたのもショックでしたが、検査と中絶のために2回、診察台で下半身をさらすのはもっと苦痛でした。
おろした後1週間ぐらいは犯されませんでしたが、中絶したことを男たちに伝えたら、また何度でもはらませてやるよといわれ、それからは精液をほしいと言わされるときには、また妊娠させられてもいいから、とまで言わされました。
結局彼らのおもちゃにされつづけた1年半の間に、3回妊娠させられました。
2回目のときは1週間、ほとんど眠るひまもなくずっと交代で犯され続け、おもちゃなどで私の中を突かれつづけて、強制流産させられました。
3回目のときには、真冬なのに水風呂に入れられて、窒息しかけるまで顔を水につけられたり、鞭打ちや、前に書いたような苦痛を味合わされたあと、こたつの上に膝立ちにさせられたまま、おなかに何度もボール(バスケットボール?)を思いきりぶつけられました。
その間ずっと両手を頭の後ろで組んでいなければなりませんでした。
やがて下腹部に激痛がはしり、中から血が出てきて、病院にいかされました。
いつでも後始末はひとりきりでした。
こうして文章にしてみると、自分はすごく恐ろしい体験をしたのだなと改めて感じますが、この頃はひどいことをされて当たり前でしたから、自分のされていることがどういうことかと思うよりまず耐える覚悟をするのに精一杯で、こんなことを強いられても心の痛みを感じる余裕はありませんでした。
彼らの奴隷となっている間、自殺しようと思ったことは何度もありました。
でも、こういうことが原因だとは絶対に知られたくありませんでしたので、結局時期を逃してしまいました。
結果的にはそれでよかったのですが。
彼らとの関係が切れたのは、それから1ヶ月ほどしてからでした。
私のことが飽きたといって、彼らのほうから縁を切ってきました。
その時には、すでに別の女の子を弄んでいたようです。
それから普通にセックスができるようになるまでに3年くらいかかりましたが、いまだにセックスがいいと思ったことはありません。
ただ自分の体が、もうとりかえしがつかないほどになったという気持ちが強いためか、たいていのことには耐えられるから好きなようにされてもいいというような、さめた気持ちでいます。
すごく悔しいことですが、性的な快楽のようなものは、むしろ犯されていた時のほうがあったと思います。
私が性的な快楽を感じるには、またこのような体験が必要なのでしょうか。